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イベント・記念事業EVENT

『広島大学75年史』NOW!

お手持ちの写真・資料をご提供ください。

2024年は広島大学の創立75周年。75年史の編纂が進んでいます!

連絡先

広島大学75年史編纂室(担当:石田)
〒739-8524 広島県東広島市鏡山1-1-1 広島大学文書館内
電話:082-424-5120 FAX:082-424-6049
E-mail:nenshi75*hiroshima-u.ac.jp(*は半角@に置き換えてください)


広島大学体育会発足1周年パレード準備風景(1964年11月頃)

桂 彬眞さん提供(1965 年工学部機械工学科卒業)

自動車部から派遣され、体育会の創設に関わりました。
写真は自動車部が記念パレードの準備をしている所です。車窓から顔をのぞかせているのは、盟友の山根恒弘氏です。この時のご縁で現在も体育会同窓会や校友会のお手伝いをさせていただいています。
後輩諸氏の活躍を心より祈念します。

工学部第二類ゼミ駅伝大会授賞式(1988 年 6月)

吾郷誠二さん提供(1990 年工学研究科博士課程前期修了)

光エレクトロニクス研究室の雰囲気もあり、工学部第二類を卒業した後、大学院へ進学しました。
写真は、私が工学部第二類のゼミ対抗駅伝の優勝賞品(ビール)を受け取っている所です。
私の研究室は、前後の年を含めて3 連覇を達成しました。多くの友人に恵まれ、充実した学生生活を送ることができ感謝しています。

日本学士院賞を受賞する川村智治郎氏(1962年)

畑本伸子さん提供(川村智治郎氏令孫)

本学の第3 代学長川村智治郎(としじろう)氏(広島文理科大学卒業生)は、両生類(カエル)の発生学・遺伝学において雌性発生や核移植による人工倍数体の作成など、現在の生命科学の礎となる画期的な成果をあげ、第52回日本学士院賞を受賞した。こうした川村氏の業績を基礎に理学部附属両生類研究施設(現両生類研究センター)が昭和42 年に創設され、当該分野において世界有数の研究拠点として知られている。
この度、広島大学文書館と両生類研究センターは川村氏のご遺族より資料の寄贈を受けた。本学の歴史のみならず、生物学の研究史においても重要な学術資料であり、永く後世へ伝えていく必要がある。

両生類研究センター(東広島キャンパス)での展示

川村氏の研究に関する標本資料や収集されたカエル雑貨などを展示しており、自由に見学できる。
〇開館時間 平日10~17 時、入館料無料

全国中等学校漕艇大会優勝記念写真(広島県師範学校1907年)

沼田洋一郎さん提供(広島県師範学校卒業生沼田実さんの令孫)

広島県師範学校の端艇部(ボート部)は、全国中等学校漕艇大会において明治39(1906)・40年に連覇、同42~44年に3連覇という快挙を成し遂げた。この活躍により学校の名が全国へ知れわたるとともに、選手たちの合い言葉であった「不動心」の精神は後輩たちに長く受け継がれることになった。これまで複製写真しか残っていなかったが、この度、明治40年の連覇達成時のオリジナル写真が見つかった。 『広島スポーツ100年』(中国新聞社、1979年)によると、広島のスポーツにおいて最初の全国制覇と評価しており、この写真は地域の歴史にとっても貴重なものと言えよう。

石碑「不動心」

昭和9(1934)年の創立60周年を記念して建設された。現在は東広島キャンパスの教育学部に移設されている。

学童疎開記念写真(1945年4月)

清水曠さん提供(1946(昭和21)年広島高等師範学校附属国民学校卒業)

小学5年生の時、比婆郡西城町へ集団疎開しました。写真は親元に送るため、疎開直後に写したものです(男子の2列目、右から8番目が私です)。校庭の前を走る汽車のポーという警笛を聞くたび、「帰りたいな」あれに乗ったら広島へ帰れるんだ、と感じたものです。

学芸会記念写真(1939年11月)

岡部(旧姓大野)ひさ枝さん提供(1940(昭和15)年広島高等師範学校附属小学校高等科卒業)

竹屋小学校を卒業後、附属小学校高等科に進学しました。当時の高等科は1学年10人、女子だけ。授業は複式で行っていました。写真は学芸会の展示作品を前に撮った記念写真です(右から3番目が私です)。卒業後は広島貯金支局に就職し、そこで8月6日を迎えました。

大学祭(1978年11月)

東闊さん提供(1971(昭和46)年理学部卒業)

広大生協発行の卒業アルバムを制作してきたエリオ写真出版株式会社(代表:東闊氏)より、元写真を多数ご寄贈いただきました。 キャンパスの日常風景を撮った写真は少なく、当時の雰囲気を伝える貴重な資料です。今回は大学祭の写真をまとめて紹介させていただきます。

春の東千田キャンパス(1983年)

東闊さん提供(1971(昭和46)年理学部卒業)

森戸道路での新入生勧誘(サークルの店だし)風景

理学部地質鉱物学教室開講20周年記念展示(1962年12月)

沖村雄二さん提供(1956(昭和31)年理学部地学科卒業)

開講20 周年を記念して、恐竜(Tyrannosaurus)のオブジェを制作しました(右下の説明板は私が書いたものです)。当時私は助手で同僚の竹野節夫氏とともに、資金集めや資材の手配など渉外を受け持ちました。大学院生が中心となって作業し、完成まで約1カ月かかりました。1 週間ほど展示しましたが、学外からかなりの見物客があり世間の注目を集めました。

広島大学演劇研究会発表会「崑崙山の人々」(1952年4月)

新井俊一郎さん提供(1955(昭和30)年政経学部卒業)

「政経学部ではなく演劇部を卒業した」と言われたぐらい、在学中は演劇にのめり込みました。写真の左端で珍無類な男を演じているのが私。舞台装置も二日間不眠不休で造り上げたため、公演終了も気づかず舞台上で眠り込んでおりました。物の無い時代、創意工夫で仲間たちと舞台を造り上げた経験は、その後の人生でとても役立ちました。

卒業論文実験風景-福山分校-(1959年8月)

橘(旧姓池田)京子さん提供(1960(昭和35)年教育学部高校教員養成課程家庭科卒業)

卒業論文では、当時開発されたばかりのポバール糊(合成樹脂系)の実証実験に取り組みました。これは指導教官の藤井清子先生が倉敷レイヨンから試作品の提供を受けたものです。思い返してみると実験のかたわら、教員採用試験の勉強をしたり、同級生と北海道旅行をするなど、とても充実した4年生の夏でした。(右が橘さん、左は奈良平〈旧姓大島〉信子さん)

自動車部アメリカ大陸横断遠征(1974年8月)

佐藤弘史さん提供(1975(昭和50)年工学部船舶工学科卒業)

’72、’73年と自動車部が全国大会を連覇し、次は海外遠征だと20名の隊員が6台の車に分乗し、6,500㎞を走破しました。当時のアメリカは完全に自動車社会となっており、ようやくマイカーが普及し始めたばかりの日本との違いに驚かされました。車を無償提供してくれた東洋工業(現マツダ)をはじめ、多くの方々の支援のおかげで貴重な体験をすることができました。

工学部国際親善サッカー大会記念写真(1993年7月)

藤谷義信さん提供(名誉教授、1978(昭和53)~2004(平成16)年工学部建築学科在職)

学生時代からサッカーが好きだったこともあり、留学生チームの世話人に加わりました。写真のユニフォームは工学部の援助を得て作ったものです。前列左から3人目の廣安博之先生にご尽力いただきました。これを着て教職員、留学生が一緒になって各地へ試合に行ったのが懐かしいです。

軟式庭球部誌『LINE』創刊の頃(1961年)

原田茂さん提供(1962(昭和37)年工学部醗酵工学科卒業)

ミッチーブーム※の影響で部員が急増し、お互いの顔もよく分からない状況となりました。そこで情報共有のため部誌を創刊することとなり、4年生だった私も参画しました。工学部は実験が多く学業とクラブ活動の両立は大変でしたが、同級生の協力もあって続けることができました。
※ミッチーブーム:当時、皇太子だった明仁上皇と美智子上皇后とのご婚約で湧き起こった一大社会現象。「テニスコートの恋」と言われテニスブームにつながった。
(中・四国学生軟式庭球大会記念写真(1961年11月、前列中央が原田氏))

ギタークラブ創設のころ(1963年)

佐伯一郎さん提供(1964(昭和39)年教育学部高等学校教育科卒業)

1961年、知人の北林康彦さんと「ギター同好会を作ろう」とポスターを貼ったところ、30人くらいの学生が集まった。ギターに対する興味は様々だったが、仲良く練習を続けた。2年後、初めてのコンサートを見真講堂で開いたが、未熟な演奏にもかかわらず温かい拍手と激励を受けたことは今でも忘れることができない。写真は1963年、可部町福音荘での夏合宿。

フェニックス駅伝表彰式の一コマ(1974年)

松尾(旧姓原田)裕美さん提供(1978(昭和53)年教育学部東雲分校卒業)

学生時代(1・2年生時)バドミントン部に所属していました。写真は、1年生の時に出場したフェニックス駅伝でバドミントン部女子チームが優勝し、賞品をいただいているところです。バドミントンは上達しませんでしたが、厳しいトレーニングは、よい思い出になっています。平日の練習前は、元安川の土手から旧工学部のあたりを走っていました。他にも比治山や黄金山を走ったこともあります。

工学寮祭の思い出(1959年頃)

川口英雄さん提供(1960(昭和35)年工学部醗酵工学科卒業)

2年生の1月から卒業まで千田町の工学寮で暮らしました。写真は年に一度の工学寮祭の時のものです。ギター伴奏の「アリオンコール」という合唱団を編成し出演しました。近くの官舎にお住まいだった佐藤静一教授には毎年ご臨席いただきました。他の出演は落語、フラダンス等がありました。
※工学寮は昭和55年に廃止されました。

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